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パリの13区。

中華系レストランやスーパーの並ぶ街です。

今日はここで伴奏のお仕事をいただきました。


私が伴奏を受け持つ内の一人、

台湾人のヴァイオリニストが、定期的にレッスンをしており、

今回はその彼の生徒さんの自宅へお邪魔しました。

普段のレッスンで復習っている曲に伴奏をつけてみよう、

ということで、ありがたく依頼を承りました。




生徒さんのご自宅へ伺ってから、楽譜を渡され、初見での試みとなりました。

伴奏科の学生になってから、初見の伴奏の依頼がとても多く、実際に仕事にする際、強みになるスキルですので、より高いレベルを目指して行こうと思っております。


もうすぐ、発表会を控えている生徒さんの、良いサポートになっていれば幸いです。


レッスンのあとは、近くのベトナム料理屋さんでクラシックなフォーをいただきました。

いままで食べたフォーの中で一番おいしく、値段も良心的な・・・でも、名前と場所はすっかり忘れました・・・。

次回行く機会があれば、今度は写真と一緒に場所もしっかりメモしておきます!





日本からのおみやげいただきました。

「茶の菓(CHA no KA)」というなまえだそうです。


抹茶味のビスケットにホワイトチョコレートが挟まれた、和洋折衷なおかし。

日本のお菓子にはふわっとした甘みがあって、懐かしさにほっとしますね。

ありがとう。


わたしはどこにいても日本人であって、それだけはいつまでも変わらない。

やっぱりおいしいと感じるのは味だけではなく、心地よさからもあるのでしょうね。

八つ橋もいただきました。


京都、わたしもまた行きたい・・・。



今日は4月の第一日曜日。

パリ中の美術館が無料で開放される日です。


私はこの日、’’ Musée national Picasso-Paris ’’(パリ国立ピカソ美術館)へ行って参りました。

北マレに位置する ’’ Hôtel de Salé ’’(サレ館)に設けられたこの美術館には、名前の通り、ピカソの作品が数多く貯蔵されています。



彼の作品を初めて目にしたのは、去年の12月に訪れたスウェーデンの「ストックホルム近代美術館」でのことです。

さまざまな画家の近代美術作品が並ぶなかで、圧倒的なエネルギーを感じ、隣り合う絵画を押しのけるようにこちらへ飛び込んでくる感覚は今でも鮮明に思い出すことができます。

この絵の作者は誰だと、キャプションを確認したのはその後のことで、それがピカソのものだとわかった時は、妙な納得感に包まれました。


パリのピカソ美術館では3月27日から7月29日にかけて ’’ GUERNICA ’’ というタイトルの特別展が催されており、今日はその展示を2時間ほどかけて廻りました。



’’ Guernica ’’(ゲルニカ)は彼の作品の名前。スペインで起こった、ゲルニカ爆撃を主題とする、誰もが一度は目にしたことのある名作ですね。

この一つの作品にかけた準備と製作過程がこと細かに記録され、展示に訪れた人々は数々の習作を目の当たりにすることが出来ます。



’’ Guernica ’’ が生まれたスペイン内戦の実情が当時の新聞などの資料を用いて展示されています。



美しさの根本には「バランス」があると考えているのですが、美術において、そのバランスは「額」が重要である気がします。

美術作品が生まれる空間、つまり紙上やキャンバスなどには必ず、限りがあり、その縁を飛び越えることは出来ません。

音楽にはその縁を見ることができない。でも、必ず存在すると思うのです。

それは表現の限界とは違います。

芸術を生み出す人間は、自分がどの位置になにを置くか理解するために、常にそれらを相対的に考える、対象を見出すべきだと思っています。


時々、思い出したように近代美術・現代美術に触れる機会を作るのですが、なぜかと問われれば、それは自身の音楽に対する姿勢を再確認するためなのかも知れません・・・。



次回、5月か6月に予定しているコンサートの伴奏譜が渡されました。

ヴァイオリニストのお友達と演奏します。



Violin Concerto No.2,Op.44」(ヴァイオリン協奏曲第2番)は、Max Bruch (マックス・ブルッフ)というドイツ人作曲家の作品です。


ピアニストである私にとって、これまであまり馴染みがなかった作曲家・・・というのもそのはず。

彼の作品にはピアノ曲が極端に少ないのです。

彼の残した言葉に「ピアノは旋律を歌うのに向いていない」というものがあり、あまり好んでピアノ曲を書かなかったそうですね。


数少ない彼のピアノ作品をYoutubeで聴くことができます。



「6 Stücke Op.12」


「2 Stücke Op.14」

旋律線を重視する作風は、彼の母親がソプラノ歌手であったことが、関係しているのでしょうか。


「Violin Concerto No.2,Op.44」では、ソリストを支えるオーケストラパートをピアノでカヴァーすることになりますが、これは「伴奏科」で 学ぶ''réduction(省略)''という課題の実習でもあります。 

手元の楽譜は、コンチェルトのオーケストラパートが純粋にピアノスコアに書き変えられたものですが、伴奏者の作品に対する考察技量によって多少の修正を加えても良いわけです。


ちなみに、ブラームスがこの作品を聞いて「あれくらいなら私にも書ける」と「Violin Concerto in D major,Op.77」を書いたという逸話があるようですね。